【奴隷の靴音】大手派遣会社Aの“スニーカー履き営業マン”が鳴らす「派遣制度」の終焉ベル

「足元を見れば、魂の値段がわかる」
ある日、派遣先との面談に現れた業界大手“派遣会社A”に所属する営業マン。スーツにスニーカー。社内カジュアル? いや、ここは取引先、つまり“お客様”の前だ。にもかかわらず、彼女の足元はまるでコンビニ帰りの大学生。
これは「人材派遣ビジネス」の実態をあからさまに象徴している。
スニーカーが踏みにじる「信用」
スーツに身を包みながらも、足元は白いスニーカー。郊外の悪路を歩く場所ならまだしも、ここは都心のど真ん中、地下鉄直結のオフィスビルだ。雨風にさらされることもなければ、未舗装の道を歩く必要もない。にもかかわらず、なぜ彼女はスニーカーで現れるのか。それはTPOの感覚が麻痺しているからだ。いや、もっと正確に言えば、「この場にふさわしい自分であろうとする意志」が欠落している。
営業マンとは会社の顔であり、派遣社員の命運を握る媒介者だ。彼女の第一印象が、そのまま会社の印象となり、派遣社員の評価にも跳ね返る。なのに足元は“休日モード”のまま。その無頓着さは、もはや怠慢ではなく“無感覚”だ。「どうせ派遣なんて」「どうせヒアリングだけ」という内心の声が、スニーカーのソールに染み込んでいる。そして、その足音はこう告げている。「この仕事に、これ以上の敬意は払う価値がない」と。
だが、忘れてはいけない。その“軽さ”は、派遣社員の未来をも軽んじている。
人を売る者が“人”であることをやめた日
本来の営業マンとは、信頼を売る仕事だ。顧客や関係者と向き合い、課題や要望を聞き出し、最適な解決策を提案する。そこには人間同士の対話があり、誠意があり、責任があった。だが、派遣ビジネスの現場には、その“人間らしさ”は存在しない。
派遣会社の営業マンは「人を売る者」だ。スキルシートをPDFで送りつけ、条件交渉を済ませ、現場に送り出す。まるで商品管理のように、人を“在庫”として扱い、納品し、消費させる。そこにあるのは人間を“消費財”として扱うロジックだ。感情や尊厳は切り捨てられる。
そして、そのロジックに最も深く染まっているのが、他でもない営業マン自身だ。彼ら彼女らは自分の言葉が誰かの人生を左右することを忘れ、ただの伝達装置と化していく。スーツを着ていても、足元はスニーカー。その軽さは、彼らが「人間であること」を降りた証だ。
「人を売る者が“人”であることをやめた日」──それは、スニーカーを履いて取引先に現れたあの日かもしれない。
彼ら彼女らは考えなくていい。悩まなくていい。誰かの人生に責任を持たなくていい。ただスニーカーを履いて、次の面談に向かえばいい。そうして今日もまた、誰かの人生が“軽く”扱われる。
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